北畠氏館跡庭園

三大武将庭園の一つで、伊勢国司・北畠晴元を訪ねた細川高国が亨録三年(1530年)に
作庭した室町時代の池泉庭園に行く。 一見、無愛想にみえた戦国武将の庭園だが、

複雑に湾曲した汀線をしており「米字池(こめじいけ)」の名がある。豪放で、
力強い石組の構築は、京都などの優雅な寺院庭園とは、一線を画して見ごたえ充分。


護岸の石組は、堅牢で長い年月に耐え剛直であり、玉石や砂はなく、また、灯篭が
ないのも清々しい。深山幽谷の雅趣や佇まいが〜。
紅葉や桜の時期ではなく、浅い芽吹きの時期は、かえって、石組が美しい。
現在は北畠神社の神苑。花木も見あたらず、清々しいのは、そのせいかも知れない。

伊賀からの伊勢路・上多気の離れ里にあり、訪れる機会を逃していたが、さすが、国指定の
名勝で、築山を控えた立石(孔子岩と称す)と円環状らしき石組も、気になる妙味です。