諸戸氏庭園 1

室町時代には、すでに庵や庭園があった桑名市の「諸戸(もろと)氏庭園」を訪ねる。

カタカナでモロトと書かれた、明治27年に建てられた大門や本邸の瓦の紋。今でも斬新。
諸戸清六氏は、一代で財をなし、全国長者番付一位となり、山林王とも呼ばれた明治の豪商で、
心得・家訓には「熱き飯は食ふに手間取り、時間を空費するゆえ、飯は一切冷飯にすること」
「昼飯は、一口に食し得る程の握り飯二・三個を作りおき、其の場にて用向きの隙間に食すこと」
「多忙の時は食せず、一・二度の食事を省きて、空腹を覚ゆるようでは、金は儲からぬと知れ」
などとあり、親から継いだ莫大な借金を3年で完済する。
写真は、驚きの美丈夫(ハンサム)。とても粗食に耐えた人とは思えない!
なんだか似ている気がするのは、白洲次郎



春・秋の期間限定の公開ですが、今年から、御殿や大門、玄関など修復工事で、一部見学ならず。
上の御殿から眺める池庭は、かって2008年に訪れた時の写真。
右側中央には、神の住む島竹生島に見立てた岩が見えるが、似ている。

こちらは隣接し、1260年頃からの鄙びた庭園。自由に散策できるが、燈籠の数たるや
見本市のよう。


三畳敷で三面障子の解放的な推敲亭、転寝(うたたね)亭と名ずけたい〜!



織部燈籠が4竿(体)は認められ、ひそかな驚き。(京都桂離宮には7つもあるけれど)


この露盤付き宝珠や笠など、古色がでていて、佇まいもなかなかでモエ〜
四角形の火袋と中台が、少しずれて雰囲気は抜群。濃緑の熊笹も石の柔らかさを。

洲浜として、敷き詰められた玉石も、なかなか〜。 ただ燈籠としては、少し軟弱かな!

左の宝珠や蕨手(わらびて)は完璧な形で美しく、巨岩にまけないコラボレーション。

橋杭燈籠・擬宝珠(ぎぼし)燈籠。なんと、京都五条大橋の欄干を移しということは、
義経は乗っかり、弁慶も触れたと……。柵があり近寄れない残念。

菖蒲や杜若には、やはり八ッ橋だ!   石橋だけれど、ま〜いいか!
しかし、杜若から菖蒲(花菖蒲)園にかわったとのこと、
ひらひらした菖蒲ではなく、杜若のままが見たかったな!  杜若図はあるが、菖蒲図は見かけない。

この諸戸氏庭園は、見どころ多く、機会をみて、またブログしておきたい。