旧秀隣寺庭園・興聖寺


琵琶湖西岸の朽木(くつき)の里にある興聖寺に戦国武将の庭を訪ねる。

伊勢・美杉村北畠氏館跡庭園と同じく、管領細川高国(1484-1531)が作庭したと言われる
旧秀隣寺庭園(足利庭園)は、屈曲した汀線と、豪快な、武将ならではの絶妙な石組で知られ、国の名勝指定



朽木谷越しに小椋栖山(おぐらすやま・蛇谷ヶ峰)を遠望し、池の背後には、当時朝鮮から輸入された高麗芝が
植裁されているが、雄大な自然とともに、野趣にとむ豪放な石組だ!


右の鶴島には、翼を思わせる巨石が立ち、満開時の老椿が有名。

野生的な亀島の奥に、築山と堅牢な滝石組水分石がみえる。やはり、定石通りの北東から水が落ちる
曲水の庭で、宴のために、いくつかの座石も配されている。
旧秀隣寺庭園と北畠氏館跡庭園の築庭にかかわった、室町幕府管領細川高国(1484-1531)は、
波乱の戦国を武将として生き抜き最後は自刃に追い込まれるが、興味深い辞世の句を北畠氏に残している。
「絵にうつし石を作りし海山を、のちの世までも目かれずや見ん」やはり雅人であり、二つの遺跡がのちの世まで。
参照; 北畠氏館跡庭園 - 原健 ブログ